LOGIN私と彼を乗せた車は、都内でも指折りの高級ホテルで停まった。彼に抱きかかえられたまま、ホテルの最上階まであっという間に運ばれた。
静まり返った室内。窓の外には、都会の煌めく夜景がどこまでも広がり、眼下の喧騒を遠くへ置き去りにしている。
前世で信じた男に裏切られ、冷たい地獄に落とされた私。 けれど今、私を抱きしめているこの男の腕は、恐ろしいほどに熱く、私を逃がそうとしない。 彼に囚われることが『檻』なのだとしたら――その檻は、なんて甘く心地よいのだろう。
帝は私をそっと、けれど逃げ出せないように深くベッドの上へと降ろした。 沈み込むシーツ。その上に覆いかぶさってくる彼の逞しい身体と、上質なセットアップから漂う爽やかなシダーウッドの香り。
 
「返せだと? 君の金など最初からどこにも存在しない。単なる信用取引の焦げ付きと、市場に呑まれた愚かな敗者の残骸だろう」 帝の冷徹な声が、ザラついたスピーカー越しに容赦なく叩きつけられる。 画面の向こうで、結月がフッと嘲笑を浮かべ、帝の肘にそっと自分の手を添えた。「夫の言う通りですわ」 夫――!! 結月の夫は俺だから!!「一条様。あなたが前世の知識とやらで浮かれ、私から横取りしたオフィスのソファーで溺れていらっしゃる間に、市場の現実はお勉強にならなかったのかしら? あなたにはもう1円の価値すら残っておりませんのよ」「な……ッ、なんだと……!? 結月! 君は前世では僕の言葉に『はい、陽太さん』って大人しく従ってたじゃないか! なんでそんな……そんな意地悪な口を叩くんだよぉぉおおっっ!!」「意地悪? 私は前世の記憶なんてございませんから、一条様の妄想ではございませんこと? 親が勝手に決めた婚約でしたし、一条様には初恋の女性もいらっしゃいますし、私に執着されなくても結構ですわよ」&nb
『――【認証済み公式アカウント】諸星グループ法務部様から、50万円のスーパーチャットが届きました』 画面いっぱいに広がる、血のように鮮やかな赤色の特大投げ銭枠。 一秒前まで爆速で流れていたチャット欄が、まるで時間が凍りついたかのようにピタリと静止した。『え?????』『公式マークついてるwwwwww』『本物の諸星グループキタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!』『赤スパ50万wwwww 桁がおかしいwwww』「……ハ?」 俺が目を丸くして固まっていると、その公式アカウントからメッセージが固定表示(ピン留め)された。 なんで俺の配信に割り込んでくるんだよ! 俺様の活躍じゃなくて、いきなり現れた諸星帝の登場が話題をさらってるじゃねえか!!!!『一条陽太様。東京ドームより心が広いとのこと、大変感銘を受けました。つきましては、弊グループ代表・諸星帝、ならびに白峰結月氏への著しい名誉毀損について、これより当配信内にて直接お話しさせていただきます』「な……直接話すって……なに言って――」 俺の狼狽を置き去りにして、画面上のコメント欄に突如、不自然なウインドウが割り込んできた。 配信画面が二分割され、右側の画面に映し出されたのは――豪奢な執務室のデスクに腰掛ける、漆黒のスー
配信画面に向かって劇的に拳を突き上げると、チャット欄はもはや文字が読めないほどの爆速で流れていった。 『閲覧人数15万人突破wwwww』 『勢いだけは凄くて草』 『完全に主人公気取りで草』 『赤スパ祭りwwww』 「見たかアンチども!! 15万人だぞ!? 日本中の人間が僕の味方なんだよ!!」 俺はギプスを巻いた右手首をわざとらしくカメラに突き出し、薄汚れたシャツの襟ぐりをバサバサと広げてドヤ顔をきめた。 「いいかみんな! 諸星帝なんてな、金に物を言わせてるだけのただのハリボテ男なんだよ! 僕みたいに『前世の記憶』と『本物の投資の才能』を持った男には、束になってかかっても勝てねぇんだ!! 今頃あいつ、俺のこの配信見てブルブル震えて部屋の隅で泣いてるぜ~!!」 画面の前で立ち上がり、腰を振ってファ××ポーズを決めてベロを出し、勝ち誇る俺。 だが俺の目的は単なる愚痴じゃない。この配信で集めたスパチャで逆転資金を作ることだ。「よしっ! ここで特別に、俺がいかに愛情深くて心の広い男か、リスナーのみんなに証明してやろう!!」 俺は割れたスマホを左手で操作し、画面に過去のメール履歴をドヤ顔で表示させた。 「これはな、俺がかつて結月に送った『愛のメッセージ』だ! 聴け!!」 俺は朗々と、恥ずかしげもなくポエムメールを音読した。
「よし……セッティング完了だぜ!」 ネットカフェの狭いWEBカメラの前に、俺はギプスを巻いた痛々しい右手と、薄汚れたワイシャツ姿で陣取った。 タイトルは一発で目を引く超劇薬フレーズに設定する。『【緊急拡散】諸星帝に妻を寝取られ、実家を75億円の借金で潰された投資家です【告発生配信】』 YoTubeのアカウントを開設し、生配信スタートのボタンを力任せにクリックした。「――みなさん、初めまして。僕は前世の記憶を持つ天才投資家、一条陽太です」 最初の生配信閲覧者はたったの十人だった。だが——「ヤバい奴が配信始めてるw」「前世の記憶持ちキタww」「実家を75億で潰した無能が諸星帝を告発www」 SNSで話題になり、爆発的に拡散され――わずか十分で、生配信を見ている人数が3万人を突破した。 やっぱ俺って商才ある~。天才すぎん? 俺はカメラに向かって、鼻血の痕が薄く残る顔を突き出し、被害者ぶった迫真の演技を開始した。「僕には魂で結ばれた『白峰結月』という最愛の妻がいました。彼女は前世で僕の妻だったのですが……あの悪魔、諸星グループの諸星帝が! 巨大な資金力で白峰の株価を不正に操作し、僕から結月を強奪したのです!! 彼女はもともと俺
75億円。 実家の会社の印鑑を勝手に押した連帯保証。 桁が大きすぎて、なんだかスマホのゲームでガチャに爆死した時くらいの現実味しか湧いてこない。「ま、まあ俺は『前世の記憶』を持つ選ばれた主人公だし? なんやかんやで逆転できるだろ――」 楽観的な思考に逃避しようとしたその瞬間。 手に持っていたスマホに鬼電が入る。 着信――たぶん、親父だろうな。会社からだ。『――陽太ぁぁぁあああッッッ!! お前、一体なにをしやがったぁぁああっっ!!』 大音量で飛び出してきたのは、耳膜が破れそうなほどの親父の悲鳴と絶叫だった。『会社に……一条グループの本社に差し押さえの業者が押しかけてきたぞ!! 銀行口座も会社名義の不動産も全部凍結された!! 聞けばお前が勝手に会社の資産を担保に入れて75億の借金を作っただと!? 倒産だ……我が社は今日で倒産だぁぁぁああっっ!!』「お、親父……!? 落ち着けって! これは諸星帝の罠で、俺は被害者で、白峰さんまで寝取られて――」『ふざけるなクソ息子がぁぁああっ!! 破産だ!! お前なんかもう息子じゃない!! 警察に突き出してやる!! 殺してやるから今すぐ目の前に現れろぉぉおっっ!!』 プツン、ツーツー……
「ひ、ひぃぃぃ……痛ぇ……ッ!!」 骨折してプラプラと奇妙な方向に曲がった右手首を抱え、俺はザギンの路地裏で必死に耐えていた。 だが、手首の激痛などどうでもよくなるほどの『大激震』が、明けた日曜日の朝、日本中に走った。『――緊急速報です! 諸星グループ代表・諸星帝氏が、白峰ホールディングスのご令嬢・白峰結月氏と正式に婚約・挙式へ!』『経済界を揺るがすビックカップル誕生でお祭り騒ぎ!!』 ネットニュース、テレビのワイドショー、SNSのトレンド……あらゆるメディアがそのニュース一色に染まった。 二人が仲睦まじく手を繋ぎ、薬指に巨大なダイヤモンドを輝かせているスクープ写真が全世界に拡散されている。「な……なんだこれ!? 婚約……挙式決定だと……!? 結月は俺の女だぞ!! 浮気だ! 不倫だ! 寝取られだぁぁぁああっっっ――――!!」 俺が病院の待合室でスマホを握りしめて血吐く思いで叫んでいる間にも、ネット上は大盛り上がりだった。『凄すぎる……! 白峰ホールディングス
「な、んでだよ……っ!!」 俺は、武藤会長を連れて女王様みたいに華やかに去っていく白峰結月の後ろ姿を、ただ口を開けて見つめることしかできなかった。 驚きとパニックに、名刺入れを握る指先がみっともなくガタガタと震える。 周囲の連中が「何だあいつ?」と俺をクスクス笑っている気配がして、顔がカッと熱くなった。 おかしい。こんなの絶対におかしい!
その困ったような笑顔。前世で私の心をいとも簡単に溶かしたあの顔。 不思議だった。あれほど焦がれた表情を前にしているのに、私の心は凍った湖のように静かだった。 手を伸ばして彼に武藤を紹介し、二言三言の助言を与えれば、彼はすぐに息を吹き返す。そしてまた、あの幸福で——その実、破滅へと続く十年が始まるのだ。 私はゆっくりと微笑んだ。 前世の私なら、ここで罪悪感に押し潰されていただろう。困っている人を見捨てる冷たい女だと、自分を責めたはずだ。けれど私を無情に切り捨てた男のために、これ以上、自分の優しさを安売りするのは——終わりにする。「ごめんなさい。人違いだと思いますわ」「えっ……
シャンデリアの光の下で、若き日の一条陽太は、滑稽なほど浮いていた。 仕立ての悪いスーツ。借り物のような笑顔。名刺入れを握りしめる指先は、誰の目にも分かるほど強張っている。この華やかな会場にいる誰もが、彼を「場違いな田舎者」として、視界の端で処理していた。 二十二歳の陽太。まだ、何者でもない。これから十年をかけて私を喰い尽くす牙も、初恋の女に狂って身を滅ぼす弱さも、その内側にすべて眠らせたまま、彼はただ、必死だった。 前世の私は、その姿に、どうしようもなく惹かれたのだ。磨けば光る原石だと、本気で信じた。そして、光らせてやれるのは自分だけだと——思い上がっていた。 今なら分かる。私が惹
※「——結月さん? 白峰結月さん、聞いていらっしゃいます?」 名前を呼ばれて私は目を開けた。 まず飛び込んできたのは、まばゆいシャンデリアの光だった。磨き上げられた大理石の床。氷とグラスの触れ合う澄んだ音。着飾った人々が交わす華やかなざわめき。香水と、生花と、上等なワインの匂い。 冷たい安アパートの天井ではなかった。胸を焼く痛みもない。 視界を落とすと、手が映った。それは——細く、白く、傷ひとつない若い指が、シャンパングラスを握っていた。 鏡張りの壁に映った自分の姿に私は息を呑んだ。そこに立っていたのは、二十二歳の私だった。 すべてを奪われ、たった一人で死んでいったはず







